補3.1961年の東大旅研最長片道切符旅行は最長ではなかった?

前書きに記したように、最初に国鉄の最長片道切符旅行を行ったのは、東京大学旅行研究会の会員4名で、1961年7月に鹿児島県海潟駅から北海道広尾駅に至る12,145.3キロを旅行したものだという。

この旅行ルートの探索過程や実際の経路については、1962年に中央公論社から出版された『世界の旅10、日本の発見』の中の「最長切符旅行」に掲載されているのであるが、かなり古い出版なので、古本屋でも現在これを手に入れるのは難しく、私が前書きを記した時は、その実際のルートは分からないままであった。

ところが、デスクトップ鉄氏が、2005年2月に、同書と当時の時刻表から東大旅研最長片道切符旅行全行程を再現したことにより、この旅行ルートをウェブページ上で確認できるようになった。私が、実際のルートを見たのはこれが初めてである。

この最長片道切符旅行ルートには、本当に最長だろうか?と思わせる疑問点があり、その部分だけを再計算して本ウェブページの掲示板に掲載したところ、いくつかの議論の結果、どうも東大旅研最長片道切符旅行は最長ではないようだ、という結論に至った。
まだ、完全解決には至っていないが、その後、『世界の旅10、日本の発見』の中の「最長切符旅行」のコピーも入手し、当時の経路探索ルールの概略が判明したこともあり、取り急ぎ、ここに検証結果を整理しておくことにしたい。

なお、今回の検証では、東大旅研最長片道切符旅行ルートより長いルートを発見したが、そのルートが本当に最長であるかどうかは証明されていない(追記1参照)。



(1)東大旅研最長片道切符旅行ルートを見た時の素朴な疑問

まず始めの素朴な疑問としては、最長片道切符の南九州の起点と言えば、長らく枕崎であったので、1961年当時の起点が大隅線海潟となっているのが意外であった。しかし、よく調べてみると、指宿枕崎線西穎娃-枕崎の開業は1963年、大隅線海潟-国分の開業は1972年であり、1961年当時は両方とも未開業であることが分かった。このように、1961年当時未開業であったことにより、現在の感覚とは異なる経路となっている例はいくつかあり、例えば次の路線は要注意である。 1961年当時は予土線全通前であったため、最長片道切符は高知県を通過できず、また、田沢湖線全通前であったため、好摩-青森という長距離区間を通過できなかったのである。

このような状況は東京周辺でも顕著であるが、東京周辺には、1961年当時未開業区間を踏まえても納得できない、不思議な空白が見つかったのである。

図A3-1
図A3-1

図A3-1は、東京周辺の東大旅研最長片道切符旅行ルートである。赤線は1961年時点の未開業区間、青線は1961年時点ではあったがその後廃止(または第三セクター化)された区間を示している。

ここで、東大旅研最長片道切符旅行ルートは、緑線で示した東京-品川-代々木-御茶ノ水-神田-東京のループをまったくかすめもせず、このループが完全に取り残されていることが分かる。

これは非常に珍しいケースである。例えば、EXCELによる最長片道ルート探索4(1)に示した現時点の新幹線を含む通常の最長片道ルートを見ると、このように取り残されたループは「川部-五能線-東能代-大館-川部」と「宇部-居能-小野田線-小野田-宇部」しかない。しかも両者ともループから出る枝が2本しかない特殊なケースである。EXCELによる最長片道ルート探索4(1)の冒頭にあるように、両者は「途中に分岐点を含まない2地点間を結ぶルートが複数あれば、最長ルートのみを残し他は削除する」対象として、事前処置を施すことができ、「これにより、青森・秋田間は五能線経由のみ、新山口・厚狭間は山陽本線−宇部−宇部線−居能−小野田線経由のみとなる」のである。このような事前処置を施した後では、取り残されたループは一つもないことになる。
また、4(2)の新幹線を含まない最長片道ルート4(3)本州循環型最長片道ルート4(4)東京近郊区間循環型最長片道ルート、など他の最長片道ルート探索事例を見ても、このような事前処置を施した後では、取り残されたループは一つもないことが確認できる。

このような経験に照らしてみると、枝が4本も付いている「東京-品川-代々木-御茶ノ水-神田-東京」のループが取り残される可能性は非常に低いと考えられるのである。



(2)東大旅研最長片道切符旅行は、乗車距離の最長ではなく、運賃計算距離の最長を目指していた

国鉄・JRの運賃計算制度には、迂回しても距離の短い方で計算する特定区間があり、そのため「乗車距離の最長ルート」と「運賃計算距離の最長ルート」が異なることがある。つまり、「運賃計算距離の最長ルート」の乗車券では「乗車距離の最長ルート」を通ることができず、「乗車距離の最長ルート」を通りたければ最長でない乗車券を使わなければならないケースが生じることになる。

この場合、ルート選定にあたって「乗車距離の最長ルート」にするのか「運賃計算距離の最長ルート」にするのかを選択しなければならない。

東大旅研最長片道切符旅行は、本文を読むと、乗車距離の最長ではなく、運賃計算距離の最長を目指していたことが分かる。そして、迂回しても距離の短い方で計算する特定区間に、取り残された「東京-品川-代々木-御茶ノ水-神田-東京」のループが含まれているのである。

図A3-2
図A3-2

問題の特定区間は図A3-2の太線区間である。この区間を通過する場合の運賃は、太線区間内の最も短い距離で計算することになっている。

『世界の旅10、日本の発見』には次のように書かれている。
「勿論、L(筆者注:品川)から入るか、M(筆者注:新宿)から入るかでは他のコース(筆者注:図A3−2の太線区間以外のコース)も変わってくる。そこで細かく計算してみたところ、品川を通るコース(筆者注:品川-東京-神田-御茶ノ水-代々木-新宿-池袋-田端-赤羽-尾久-秋葉原)の方が、新宿から入るコース(筆者注:新宿-池袋-田端-赤羽-尾久-秋葉原)より、実際に乗れる区間が長くなるが、切符の上では短くなることがわかった。そこで我々は、議論の末、後に残る、いわゆる券面の距離を取ることにして、新宿から入るコースを採用した。これは国鉄の航路のキロ数が、実長とはちがうことから、実際に乗った区間の最長ということは意味がなく、制度上の最長の方が意味あるように思えたからだった。」

これを読むと、「東京-品川-代々木-御茶ノ水-神田-東京」のループが取り残されたのは、「運賃計算距離の最長ルート」を選択したためであるようにも思える。

ところが、図A3-2の太線区間の運賃計算方法についてはまだ続きがある。
実は、この区間の一方の経路を通過した後、再び同区間内の他の経路を乗車する場合の運賃は、実際に乗車する経路の距離によって計算することになっているのである。例えば、「千葉-秋葉原-代々木-品川-名古屋-塩尻-新宿-田端-赤羽-大宮」という経路の片道切符は、「秋葉原-代々木-品川」も「新宿-田端-赤羽」も最短距離ではなく、実際のルートの距離で計算するということである。

このルールについては、宮脇俊三氏の「最長片道切符の旅」の中でも話題になっており、宮脇俊三氏は同書の中で次のように述べている。
「ずいぶん細かいことまで規定してあるもので、実際にこんな規則を適用されるケースがあるとは思えない。空文同然であろう。ところが、私がこれから購入しようとしている切符の運賃計算には正にこの条文が適用されるのである。」

なお、これらの運賃計算制度については、昭和33年11月15日現行の「旅客及び荷物運送規則」70条(図A3-2の太線区間を1回通過する場合は最短距離で計算)、「旅客及び荷物運送取扱細則」83条(図A3-2の太線区間を2回以上通過する場合は経路通り計算)によって規定されており、1961年の東大旅研最長片道切符旅行以前から存在していたことが、掲示板での議論に参加して頂いた加藤氏、デスクトップ鉄氏により確認されている。

図A3-2の太線区間を2回以上通過する場合の規則については、『世界の旅10、日本の発見』では触れられていない。従って、この規則を東大旅研は考慮していなかった可能性がある。あるいは、東大旅研の書き方が、品川から入るか、新宿から入るかという二者択一であることから考えると、そもそも図A3-2の太線区間を2回通過するという発想がなかったかもしれない。

結局のところ、上記運賃制度に基づいて「運賃計算距離の最長ルート」を探索した時、本当に「東京-品川-代々木-御茶ノ水-神田-東京」のループが取り残されるようなルートが本当に最長となるのかどうかがポイントである。これを次に検証する。



(3)運賃計算キロ最長ルートの検証

ここでは、図A3-2の太線区間の通過の仕方に焦点を絞って、東大旅研のルートが、運賃計算キロ最長ルートになっているかどうかを検証する。

まず、検証範囲は、EXCELによる最長片道ルート探索4(1)の「東日本地方」、即ち、「富山・糸魚川−美濃太田・多治見−金山・名古屋」と「坂町・新発田−福島・郡山−いわき・岩沼」に挟まれた部分のみとする。

次に、この範囲の路線を現時点のものから1961年時点のものに置き換える必要がある。具体的には、次のような変更を行うことにした。 正確な最長距離を求めるには、さらに塩尻駅移転による営業キロ変更等の変更が必要であるが、今回の目的のためには、そこまで必要ではなかったので、上記以外の厳密な検証は省略した。

ここで、西日本地方との接続点となる「富山・糸魚川−美濃太田・多治見−金山・名古屋」の各枝については、東大旅研ルートが、名古屋-多治見-塩尻を通過しているため、
  H(金山・名古屋)=1
  H(美濃太田・多治見)=0
  H(富山・糸魚川)=0
と設定することにした。
1961年当時は東海道本線に金山駅はなく、東海道本線と中央本線の接続駅は名古屋駅であり、「富山・糸魚川−美濃太田・多治見−金山・名古屋」は「富山・糸魚川−美濃太田・多治見−名古屋・多治見−名古屋・豊橋」とするべきであるが、上記の設定のままで計算しても、名古屋-多治見-塩尻を通過する計算結果となったため、特に設定を変更しなかった。 (注1参照)

東北地方との接続点となる「坂町・新発田−福島・郡山−いわき・岩沼」についても、東大旅研ルートが、いわき(当時は平)-岩沼を通過しているため、
  H(坂町・新発田)=0
  H(福島・郡山)=0
  H(いわき・岩沼)=1
と設定することにした。

次に、本題であるが、図A3-2の太線区間を通過する際の距離を、乗車距離から運賃計算距離に置きなおす必要がある。


図A3-2(再掲)
図A3-2(再掲)

図A3-2(再掲)の太線区間をもう一度見てみると、太線区間から出ている枝は新宿-立川、赤羽-大宮、日暮里-我孫子、秋葉原-千葉、品川-川崎の5本である。従って、太線区間を1回だけ通過する場合は、5本のうち2本を通過し、太線区間を2回だけ通過する場合は、5本のうち4本を通過することになる。太線区間を3回通過するためには、6本の枝が必要なので、太線区間の通過回数は1回または2回であることが分かる。

次に、計算を簡略化するため、5本の枝についての事前制約がないかを考えてみる。房総半島の入口・出口は秋葉原-千葉と我孫子-成田の2本しかないため、房総半島を通過するためには、この2本の枝を必ず通過する必要がある。房総半島を一周する秋葉原-千葉-木更津-安房鴨川-大網-成東-松岸-成田-我孫子は380.8qもあるので、これを全く放棄するのが最長ルートとなることはまずありえない。従って、太線区間について「5本の枝のうち、秋葉原-千葉は必ず通過する」という事前制約を課すことができる。



@太線区間を1回通過する場合

秋葉原-千葉の枝は必ず通過するので、まず、
  H(秋葉原・千葉)=1
である。
2本の枝を選択するためには、新宿-立川、赤羽-大宮、日暮里-我孫子、品川-川崎の4本の枝から、あと1本を選択すれば良い。そこで、
  H(新宿・立川)+H(赤羽・大宮)+H(日暮里・我孫子)+H(品川・川崎)=1
の制約式を設定する。
また、このとき、日暮里-我孫子の枝を選択すると、我孫子-日暮里-太線区間-秋葉原-房総半島-我孫子で部分巡回が形成されてしまう。
そこで、
  H(日暮里・我孫子)=0
の制約式を追加する。
また、このことから、あと1本を選択する制約式は、H(日暮里・我孫子)を削除した
  H(新宿・立川)+H(赤羽・大宮)+H(品川・川崎)=1
で十分である。

太線区間を1回通過する場合の運賃計算距離は、乗車経路に関わらず、最短距離で計算しなければならない。例えば、残り1本の枝を新宿-立川とした場合、太線区間の最長乗車ルート(この場合、新宿-秋葉原)は、新宿-田端-赤羽-尾久-日暮里-秋葉原27.3qであるが、太線区間の距離は、最短距離となる、新宿-代々木-御茶ノ水-秋葉原8.6qとしなければならない。
ここで、
  H(秋葉原・千葉)=1
  H(新宿・立川)=1
とだけして、最長ルートを計算すれば、太線区間内のルートは、必ず、新宿-田端-赤羽-尾久-日暮里-秋葉原27.3qとなるはずである。つまり、必要な運賃計算距離に置き換えるためには、通常通りの計算結果から27.3−8.6=18.7q引き算しておけば良いことが分かる。

そこで、従来の東日本地方の目的関数(最長にするべき関数)ΣL・Hを
  ΣL・H−18.7×H(新宿・立川)
に変更することにする。このようにしておけば、新宿-立川の枝を通過するときは、運賃計算距離に置き換え、新宿-立川の枝を通過しないときは何も起こらない目的関数となる。

同様に、残り1本の枝を赤羽-大宮とした場合は、 となり、
残り1本の枝を品川-川崎とした場合は、 となる。

従って、従来の東日本地方の目的関数(最長にするべき関数)ΣL・Hを
  ΣL・H−18.7×H(新宿・立川)−28.4×H(赤羽・大宮)−35.6×H(品川・川崎)
に変更しておけば、残り1本の枝をどこに選んでも、乗車距離が運賃計算距離に変換されることになる。

以上を整理すると、目的関数を
  ΣL・H−18.7×H(新宿・立川)−28.4×H(赤羽・大宮)−35.6×H(品川・川崎)
に変更し、
  H(秋葉原・千葉)=1
  H(日暮里・我孫子)=0
  H(新宿・立川)+H(赤羽・大宮)+H(品川・川崎)=1
の制約式を追加して計算すれば、運賃計算距離の最長が計算されることになる。

この方法で計算した結果、太線区間を1回通過する場合の最長ルートは、東大旅研のルートと同一となった。



A太線区間を2回通過する場合

太線区間を2回通過する場合の運賃計算距離は、乗車経路通りの計算であるので、@のように目的関数を変更する必要はない。

制約式については、@と同様、秋葉原-千葉の枝を通過することは必須であり、全部で4本の枝を通過するために、秋葉原-千葉以外の枝をちょうど3本通過する必要があるから、
  H(秋葉原・千葉)=1
  H(新宿・立川)+H(赤羽・大宮)+H(日暮里・我孫子)+H(品川・川崎)=3
の2式を追加すればよい。

この方法で計算した結果、最長ルートは図A3-3の通りとなった。表A3-4に東大旅研ルートとの比較(茅ヶ崎-越後川口の比較。それ以外の区間は東大旅研ルートと同一であった)を示すが、今回計算したルートの方が、東大旅研ルートより、乗車距離では、212.0-207.5=4.5km、運賃計算距離では、4.5+18.7=23.2km長くなっていることが分かる。

図A3-3
図A3-3


表A3-4
表A3-4

また、今回計算したルートでは、当初の疑問点であった、「東京-品川-代々木-御茶ノ水-神田-東京」のループも取り残されることなく、通過していることが確認できる。やはり、最長片道ルートを計算した時に、このように枝が4本もあるようなループが取り残されるようなことにはならないのである。

上記の計算結果をもう少し検証すると、東大旅研は、太線区間を2回通過する場合の運賃計算方法を知らなかったのでなく、そもそも太線区間を2回通過するケース自体を検討していなかった可能性が高いことが分かる。
例えば、太線区間を2回通過する場合の運賃計算距離を、乗車経路通りではなく、2回とも最短経路で計算したとすると、1回目の赤羽-新宿は、乗車経路:18.7q、最短経路:10.3q、減額調整:-8.4qであり、2回目の品川-秋葉原は、乗車経路:18.9q、最短経路:8.8q、減額調整:-10.1qとなるが、この計算方法でも、今回計算したルートと東大旅研ルートの差は、4.5+18.7-8.4-10.1=4.7qとなり、今回計算したルートが、東大旅研ルートより4.7q長いことになるのである。

なお、今回計算したルートは、赤羽-尾久-日暮里-田端を通過している。尾久を通る東北本線は日暮里に停車しないことから、日暮里から田端へ折り返すのを不可とする意見もあり、掲示板でも問題となったが、「旅客営業規則」、またその細則である「旅客営業取扱基準規程」によれば、この片道切符の発行を制限する規定がないことから、今回計算したルートでも片道切符が発行されるという見解を、ここでは採用した。ただし、赤羽-尾久-日暮里-田端と通過する際の日暮里-上野の区間外乗車についての規定が「旅客営業規則」「旅客営業取扱基準規程」に明示されていないため、片道切符が発行されても単独では使用できない(例えば、日暮里-上野の往復乗車券を併用すれば使用可)、ということになるようである。 (注2参照)

赤羽-尾久-日暮里-田端と通過を不可とする場合は、
  H(赤羽・日暮里)+H(日暮里・田端)=<1
の制約を課して再計算すればよい。
計算結果は、図A3-3の赤羽-尾久-日暮里-田端を赤羽-王子-田端に置き換えたものとなった。この場合でも、図A3-3のルートより2.6q短くなるだけなので、東大旅研ルートより、乗車距離では、4.5-2.6=1.9km、運賃計算距離では、1.9+18.7=20.8km長くなる。


追記1(2006/6/9)
「東大旅研最長片道切符旅行全工程」を再現したデスクトップ鉄氏本人によって、本稿で求めたルートが最長ルートであることが証明された。(「最長片道切符の変遷1961-2006」を参照。)
また、同氏は、東大旅研が本稿のルートを見逃した理由について、実乗距離ルートでは、70条特定区間を1回通過する最長ルート(秋葉原−日暮里−田端−代々木−東京−品川)と2回通過するルート(本稿のルート)の距離がたまたま同一であることを示した上で、
「東大旅研は、手計算で「秋葉原−日暮里−田端−代々木−東京−品川」という実乗距離最長ルートを求め、70条特定区間通過のルールを適用し、券面距離が長くなる「秋葉原−赤羽−田端−新宿」というルートを選択したものと思われる。同じ距離のルートが複数あるとは考えなかったのだろう。 」
と結論づけている。



(注1)
「富山・糸魚川−美濃太田・多治見−金山・名古屋」を「富山・糸魚川−美濃太田・多治見−名古屋・多治見−名古屋・豊橋」とせずに「富山・糸魚川−多治見・塩尻−名古屋・豊橋」とすれば、西日本地方と東日本地方の接続点の選択肢を3ルートのままにすることができる。
本論とは関係ないが、名古屋の枝を(名古屋・亀山、名古屋・米原)の組と(名古屋・豊橋、名古屋・多治見)の組に分け、前者を名古屋A、後者を名古屋Bとして、名古屋Aと名古屋Bを結ぶダミーの枝を設定すれば、「富山・糸魚川−美濃太田・多治見−名古屋・多治見−名古屋・豊橋」は「富山・糸魚川−美濃太田・多治見−名古屋A・名古屋B」に変更することができる。この変更を行えば、接続点の選択肢は4ルートから3ルートになり、ブロック分割に伴う場合分けは、8通りから4通りに減少する。名古屋A・名古屋Bを通過しない場合は追加の制約も必要となるが、このようにして接続点の選択肢を減少させることができれば、他の計算でも役に立つかもしれない。

(注2)
赤羽-尾久-日暮里-田端と似たようなケースとなる浜川崎-鶴見-新川崎-品川について、宮脇俊三氏の「最長片道切符の旅」の文庫版あとがきには次のように書かれている。
「なお、品川-新川崎-鶴見(通称・新横須賀線)の開業によって、線路図の上では迂回が可能に見えるが、横須賀線は鶴見に停車しない(ホームがない)ので、鶴見乗換えの通し切符は発売されない」
宮脇俊三氏は、「停車しない(ホームがない)ので」「通し切符は発売されない」と、あっさり書いているが、これは、かなり疑問であると思われる(注3参照)。
通し切符が発売されない理由が「停車しない(ホームがない)」だけであれば、「最長片道切符の旅」で実際に通し切符が発売された新松戸-日暮里-尾久-赤羽も通し切符が発売されないはずだからである。

また、「停車しない(ホームがない)」かつ「区間外乗車の規定がない」場合に通し切符が発売されないのであれば、一応、辻褄が合うが、「停車しない(ホームがない)」かつ「区間外乗車の規定がない」場合は、片道切符は発行できないという規定は「旅客営業規則」「旅客営業取扱基準規程」に明示されていない。

あるいは、「旅客営業規則」「旅客営業取扱基準規程」に明示されていなくても、それが慣例となっているのだ、という主張があるかもしれない。
しかし、今度は、赤羽-尾久-日暮里-田端の際の日暮里-上野の区間外乗車や浜川崎-鶴見-新川崎-品川の際の鶴見-横浜の区間外乗車が「旅客営業規則」「旅客営業取扱基準規程」に明示されていなくても、慣例として認められている可能性が高いことから、逆に、「停車しない(ホームがない)」かつ「区間外乗車の規定がない」という条件が満たされないことになってしまう。

結局、上記のような理由は、片道切符が発行されない理由とはならないと思われる。宮脇俊三氏がなぜ簡単に、鶴見乗換えの通し切符は発売されないとしたのか不明である。

赤羽-尾久-日暮里-田端の片道切符の発行可否について明確な見解を御存知の方があれば是非掲示板に投稿願いたい。

(注3)
デスクトップ鉄氏の「最長片道切符の変遷1961-2006」では、宮脇氏が新川崎経由のルートを採用しなかった理由について、
「「ホームがないので」というのは非常に短絡した理由だが、この区間を新川崎経由としないのは前記の光畑氏の考えであろう。種村直樹「鉄道旅行術」(日本交通公社出版事業局、1981年6月、改訂9版)には、同じ光畑氏の新幹線を利用しない最長ルートが紹介されており、「鶴見線浅野方面から鶴見−横浜間を飛び出し乗車して新川崎経由品川方面へ行く特例が認められていない(新川崎駅までは特例あり)ため、川崎経由のままとした」と注記されている。」
と述べている。その上で、
「しかし、旅客営業規則の片道乗車券の発売条件である、「折り返さない。環状線一周を超えない」を満たす品鶴線経由の切符が発売されないことはない。券面距離の最長を目指すならば、鶴見−横浜間は別途乗車券を購入して乗車し、このルート採用すべきである。」
としている。



更新記録
 ・ 2005年4月30日 : 掲示板での指摘(条文番号間違い)等により誤記訂正。
 ・ 2005年6月21日 : 「部分巡回」「部分循環」を「部分巡回」に用語統一。
 ・ 2006年6月 9日 : 追記1、注3を追加。



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初版: 2005年4月19日  最終更新: 2006年6月9日